怪我でサッカーができない時間、どのように過ごせばいいのか悩むことがあります。
体を動かせない中で、何を続ければいいのか。
どんな時間にすればいいのか。
今回の怪我を通して、改めて感じたことがあります。
それは、Eizにとってサッカーは「頑張って続けているもの」というより、すでに生活の一部であり、習慣になっていたのではないかということです。
毎週の練習や試合。
体づくり。
食事。
生活のリズム。
一見すると別々に見えるものも、実際にはサッカーという習慣を中心につながっていました。
そして、その習慣が止まったことで、初めて見えてきたこともありました。
人は、続けてきたことを自然に続けようとします。
その一方で、止まった生活にも驚くほど早く慣れていきます。
今回の怪我の時間の中で見えてきたのは、習慣が体づくりやメンタル、そして日々の生活そのものを支えていたということでした。
この記事では、サッカーができなくなった時間の中で感じたことと、習慣の持つ力について、実際の経験をもとにまとめています。
サッカーはすでに習慣だった
これまでの生活は、練習や試合を中心に動いていました。
週に何度もグラウンドに行き、週末には試合があり、家の予定も自然とサッカーを中心に決まっていきます。
Eizにとってサッカーは、特別なイベントというより、すでに日常の一部になっていました。
きっとこれはサッカーに限らず、何かを続けている子どもたちの生活の中にも、同じようにあることなのかもしれません。
そして、それはEizだけではありません。
送り迎えをしたり、練習の時間や試合に合わせて予定を調整したりしていた私の生活も、サッカーを中心に回っていました。
サッカー中心の生活であることは、もちろん前から分かっていました。
いつもサッカーのことを考えているし、生活の中心にあることも感じていました。
ただ、それが完全に止まったことで、その存在の大きさを改めて実感したのです。
それまで当たり前のように続いていた時間がなくなることで、サッカーが生活の土台の一部になっていたことを、改めてはっきり感じました。
習慣というものは、続いているときにはその大きさになかなか気づきません。
でも、止まって初めて、それがどれほど日常を支えていたのかが見えてくることがあります。
習慣って恐ろしい
怪我をして最初の1週間ほどは、Eizもかなり落ち着かない様子でした。
それまで毎日のように体を動かしていた生活が急に止まったことで、どこか物足りないような、落ち着かないような様子が続いていました。
じっとしていること自体が、少し苦しそうにも見えました。
ところが1か月ほど経った頃、ふと感じたことがあります。
最初の頃に比べると、ソファに座っている時間が増え、体を動かさない時間が当たり前のようになりつつありました。
人は思っている以上に早く新しい状況に順応します。
とくにそれが体への負担が大きくない生活であれば、なおさら早く慣れてしまうのかもしれません。
習慣というものは、本当に恐ろしいものだと感じました。
それまで続いていたものが止まると、最初は違和感があります。
どこか落ち着かない感覚。
何か足りないような感覚。
人は続けてきたものを続けようとする習性があります。
それは良い習慣でも悪い習慣でも同じです。
だからこそ、続いていたものが急に止まると、多少の負荷のような感覚が生まれる。
そして逆に、新しい状況にも驚くほど早く順応していく。
今回の怪我の時間の中で、その両方を目の前ではっきりと見た気がしました。
サッカーができないことに慣れていく怖さ。
でも同時に、体を休める時間に慣れていく必要性。
習慣は、続ける力にもなります。
でも一度止まると、止まった状態もまた新しい習慣になっていく。
だからこそ、怪我の時間はただ休むだけではなく、どんな状態を新しい日常にしていくのかを考える時間でもあるのだと思います。
新しい習慣を作ろうとした時間
怪我をしてから、Eizと一つ話し合ったことがあります。
サッカーができない時間の中で、何か新しい習慣を作れないだろうか、ということでした。
怪我をした直後に「今できることは何か」を一緒に考えた時間がありました。
その時のことは、こちらの記事にも書いています。
👉 怪我をしたときに「今できること」を考えた日
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これは比較的自然に続きました。
体を動かしたいという気持ちもあり、取り組みやすいものだったからです。
そしてもう一つ、サッカーをしていた時間の代わりに、サッカーの動画を見る時間を増やしてみようということにもなりました。
ディフェンダーとしての動きや試合の見方など、少しでもサッカーについて考える時間になればと思ったからです。
けれど正直に言うと、こちらは思っていたほど習慣にはなりませんでした。
Eizはもともとサッカーの動画をたくさん見るタイプではなく、思ったようには続かなかったからです。
その代わり、時間ができたことで、日本語の音読の時間は少し増えました。
普段よりも落ち着いて取り組める時間があったこともあり、音読の頻度はこれまでより増えたように感じています。
こうして振り返ると、同じ「新しい習慣を作る」ということでも、自然に続くものと、思ったようには続かないものがあるということが、とてもはっきり見えました。
好きなことは、気づけば自然と続いていることがあります。
けれど、意識して新しい習慣を作ろうとすると、それは思っている以上に難しいものです。
習慣は、頑張って作るものもあります。
でも、本当に続くものは、その人の興味や生活の流れに自然に入り込んでいくのかもしれません。
習慣は体づくりとメンタルにもつながっていた
今回の怪我を通して、もう一つ強く感じたことがあります。
それは、サッカーという習慣が、体づくりやメンタルの安定にもつながっていたのではないかということです。
サッカーが習慣になっていたからこそ、日々体を動かすことも当たり前になっていました。
練習に行くこと。
試合に出ること。
体を動かすこと。
そうした流れの中で、サッカーに必要な体づくりも自然と続いていたのだと思います。
そして、それはメンタルの面でも同じだったのかもしれません。
運動が気持ちを整えることにつながるというのは、よく知られていることでもあります。
体を動かすことで気持ちがリセットされたり、生活のリズムが整ったり、前に進む感覚を持てたりする。
そうしたことが、知らないうちにメンタルの安定にもつながっていたのかもしれません。
そして、それは食事の面でも同じだったのだと思います。
運動をするのが当たり前になっていたことで、体にいいものを食べることも、少しずつ生活の中に定着していきました。
今回サッカーが止まっても、その食事の習慣は大きく変わりませんでした。
体を作るということは、トレーニングだけでできるものではなく、日々の習慣の積み重ねによって支えられているのだと感じました。
習慣について感じたことは、こちらの記事でも書いています。
サッカーという習慣があったからこそ、
体づくりも続いていた。
生活のリズムも整っていた。
メンタルの安定にもつながっていた。
そして、その習慣が止まると、体にもメンタルにも影響が出てくる。
今回の怪我を通して、そうしたつながりが少し見えた気がしています。
そして改めて感じたのは、サッカー選手になるという道は、やはり日々の習慣と深く関わっているのだということです。
どんな習慣を積み重ねていくのか。
それが、これからのEizの成長にもつながっていくのだと思います。
怪我を通して見えた習慣の力
サッカーという習慣があったからこそ、
体づくりも続いていた。
生活のリズムも整っていた。
メンタルの安定にもつながっていた。
そして、その習慣が止まると、体にもメンタルにも少しずつ影響が出てきます。
今回の怪我を通して、そうしたつながりが少し見えた気がしています。
毎日の練習や試合は、ただサッカーが上手くなるためだけのものではありません。
体を作り、気持ちを整え、生活のリズムを支える土台にもなっていました。
続けているときには、その存在の大きさになかなか気づきません。
でも、止まって初めて、それがどれほど日常を支えていたのかが見えてくることがあります。
そして改めて感じたのは、サッカー選手になるという道は、日々の習慣の積み重ねと深く結びついているということです。
どんな習慣を積み重ねていくのか。
どんな時間を日常にしていくのか。
その積み重ねが、技術だけでなく、体づくりやメンタル、そして将来の成長にもつながっていくのだと思います。
怪我で立ち止まった時間は、サッカーができない苦しい時間でもありました。
でも同時に、これまで続けてきた習慣の大切さを改めて実感する時間でもありました。
そして、どんな習慣をこれから積み重ねていくのかを考える、貴重な時間にもなったように感じています。
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