0歳から日本語は母国語だった
息子Eizは生まれたその日から、私はとにかく日本語で話しかけることを心掛けていました。
言葉がまだ返ってこなくても、赤ちゃんは聞くことで言葉を吸収すると聞いていたからです。
0歳から毎日日本語を聞いていたからこそ、幼少期のEizにとって日本語は間違いなく「母国語」でした。
もちろんお父さんもイタリア語でたくさん話しかけていましたが、日常的に一緒に過ごす時間が長いお母さんの日本語の影響が強く、その頃のEizは今よりも自然に日本語を使いこなしていた気さえします😅。
土曜日の日本の幼稚園と平日のイタリア語幼稚園
幼稚園の頃から、Eizは毎週土曜日に日本語補習校に通っていました。
そこでは「勉強」という感覚はほとんどなく、折り紙を折ったり、絵を描いたり、工作をしたり。
日本語は遊びの延長であり、楽しい体験の一部でした。
一方で平日は、地元のイタリア語幼稚園に通い始めました。
日本語よりイタリア語を聞いたり話したりする割合が徐々に増えていきました。
小学校で、日本語は「勉強」になってしまった
ところが小学校に入ると状況は変わります。
日本語補習校では宿題や課題が増え、私の方に「やらなきゃいけない」という感覚が芽生えてしまいました。
その頃、仕事も忙しくプライベートのトラブルもいろいろ重なり、日本語と楽しく向き合える環境を作れませんでした🥲。
結果、息子にとって日本語は「宿題」「こなさなきゃいけないもの」というカテゴリーに入り、楽しく覚えたいという感覚は薄れてしまったのだと思います。
言葉は本来、生活や遊びの中で自然に育つものです。
それを「課題」に変えてしまったことが、私の最大の後悔です🥲。
言葉の抜けや文化の理解の難しさ
現在のEizの日本語は、発音はとても自然で会話も普通にできます。
しかし単語力や文化的理解は不十分です。
特にお正月や豆まき、おせち料理の内容など、文化的背景を伴う言葉は弱いままです。
これはイタリアで生活しているため、自然に触れる機会が少ないことも大きな理由です。
日本に頻繁に帰ることのできる家庭や、文化を自然に体験できる状況が作れれば、また状況も変わってくるのでしょう。
日常会話の中でも、ついイタリア語が混ざります。
「今日、公園に行ったんだけど…」ではなく
「今日パルコに行ったんだけど…」
のように、言葉の中にイタリア語が入り込むことが当たり前になっています。
これは日本語が弱くなったというより、生活の中で使われる単語が限られているのと、私自身もついイタリア語の単語のほうが早く伝わるので混ぜてしまいます。
これ絶対やっちゃダメって聞きますよね🤦♀️。
日本のアニメも時々見ますが、イタリア語で見る方が気楽なようで…。
日本語で見てほしいと思っても、ついイタリア語で見てしまう息子を前に、ちょっともどかしさを感じます。
小学校の先生の一言で芽生えた「勉強」
イタリアの小学校では、私が日本語の勉強の環境を悪くしてしまったこともあり、必要なところはもちろん手伝うが、強制はしないと決めていました。
それがプラスに出たのか、イタリアの学校は常に楽しいことをやる延長で学んでいました。
私も口を出さず、自分で取り組む力が自然とついていきました。
しかし小学校の終わりに先生が繰り返し、
「中学校になったら宿題が増える」
「勉強しないとついていけない」
と言っていたようで…。
もちろん気持ちはわかりますし、先生の意図も理解できます。
ただそれで勉強しなくてはと思い、一生懸命取り組む子がどれだけいるでしょうか。
私的には言わなくてもよかったのに😔…と。
なぜかというと、その言葉によりEizの中に「勉強」という重みが入り込んだからです。
今まではやらされてやるという感覚ではなく、知りたいから学んでいるという感覚だったと思います。中学校が始まる前の休み、珍しく憂鬱そうでした。
イタリアの評価システムが息子の学びを“ゲーム”に変えた
イタリアの小学校では、小テストの結果がすぐ数字で返ってきます。
1〜10の評価で平均もリアルタイムに見られ、数字が上がったり下がったりするのが一目でわかります。
始めは心配があったもののEizはこれを自然にゲームのように捉えるようになったようです😆。
「次は平均を上げたい」
「今回はいい点だった」
評価がプレッシャーにならず、数字を上げるゲームとして取り組めたことで、勉強を「やらされるもの」にせず、自分の中で楽しむ体験に変えているという感じでしょうか👍。
「好き」の延長で学ぶ
Eizを見て確信したことがあります。
勉強は「勉強」になった瞬間、遠ざかります。
サッカーも語学も、好きで取り組む延長でしか伸びません。
日本語は一度「勉強」になったため重くなりましたが、サッカーは誰にも押し付けられてやっている感覚はありません。
だから伸びる。
伸びる環境とは、自然とその環境にあることや、習慣になっていることを含め、子どもが無理なく関われる環境のことです。
言葉もサッカーも、すべての学びや活動において、この原則が当てはまります。
最も伸びるのは「やらなきゃ」ではなく、「やってみたい」の延長なのでしょう。
日本語学習の継続と日常での工夫
平日朝の5分の日本語の朗読も、日本語補習校に行かなくなってから続けていますが、イタリア語のショート動画を見ていた方が彼には断然楽しいということもありイマイチです🥲
まずは私がイタリア語の単語を使うのをやめて、徹底的に日本語で話す。
それから時々、コテコテの敬語で話しかけてみる。とか😅
日本語を課題ではなく空気に戻す。
言葉力と将来のメリット
海外で育つ子どもが自然にバイリンガルになるわけではありません。
言葉は環境、空気、感情で育つものです。
今の時代、翻訳もAIもあります。
昔ほど「完璧に覚えなければならない」という時代ではないでしょう。
でも話せるに越したことはありません。
サッカー選手のように現場で瞬時に意思疎通が必要な状況では、最低限の言葉力は余計なストレスを減らし、サッカーに集中できることにもつながります。
早く現状に溶け込む手段にもなります。
色々葛藤したり工夫したり、良い手はないかと考える毎日ですが、何かEizのためにできることがあるはずなので息詰まらず頑張っていきたいです。
つづく


