イタリアではボール一つで友達ができる|サッカーがある日常

息子・Eizがサッカーを始めたのは6歳のときです。
今月で12歳になるので、気がつけばもう6年目です。

私はスポーツをやるのも見るのも好きですが、サッカーに関しては当時はルールもほとんどわからず、感覚としてはそこまで興味があるという感じでもありませんでした。
Eizのお父さんも子どもの頃に少しサッカーをしていた経験はありますが、毎週試合を見るようなサッカーファンというわけではありません。

どちらかというと、サッカーよりも MotoGP(バイクレース) をよく見ていました。

ただ、イタリアで生活していると自然と気づくことがあります。
それは、多くの家庭にとってサッカーがとても身近な存在だということです。

イタリアでは、子どもがサッカーを始めるきっかけの一つに、家族の影響も大きいように感じます。

小さい頃から家の中でサッカーの話を聞いたり、週末になるとお父さんやおじいちゃんが試合を見ていたりする家庭も多く、子どもたちは物心がつく頃には、サッカーがとても身近な存在の中で育つ家庭も少なくありません。

こうした家庭や環境の影響によって、イタリアでは子どもがサッカーを始めることがごく自然な流れになっているのだと思います。

家族の中でも応援しているチームが違うこともよくあります。
例えば、お父さんはインテル、おじいちゃんはユヴェントスというように、それぞれ違うチームを応援していることも珍しくありません。

そういう環境の中で育つ子どもたちは、小さい頃から自然とサッカーの話を聞き、気づけば自分の応援するチームができていたりします。

イタリアではこういった家庭もよく見られます。

イタリアでは子どもが自然にサッカーを始める

イタリアでは、子どもがサッカーをしている割合がとても多いと感じます。

もちろんバスケットや陸上、バレーボールなど、他のスポーツもあります。
それでも感覚としては、サッカーをしている子どもが圧倒的に多い印象です。

一つの町の中にもいくつかのサッカークラブがあり、同じ地域に複数のチームが存在することもあります。

そしてサッカーは、クラブチームでプレーするだけのものではなく、日常の中でも自然に行われています。

その象徴的な場所が、公園です。

公園ではボール一つで試合が始まる

イタリアの公園では、子どもたちがサッカーをしている光景を本当によく見かけます。

誰かがサッカーボールを持ってくると、自然と子どもたちが集まり、いつの間にか試合が始まります。

特別な準備も、チーム分けもありません。

「やろう」と誰かが言うわけでもなく、気づけば partita / パルティータ(試合) が始まっています。

そこにいる子どもたちも、必ずしも知り合い同士とは限りません。

知らない子ども同士でも、ボールを蹴り始めれば自然と一緒に試合になります。

日本では、公園に「ボール遊び禁止」や「サッカー禁止」と書かれている場所もありますよね。
東京では、外に出た時にそういった看板をここ数年で多く見かけるようになったのではないでしょうか。

イタリアでは、そういった光景はほとんど見たことがありません。

サッカーは特別な場所でやるスポーツというより、生活の中にある遊びの一つのように存在しています。

公園サッカーは毎回ルールも環境も違う

実際の公園サッカーは、とても自由です。

年齢もバラバラで、小さい子から少し大きい子まで一緒にボールを追いかけていることもよくあります。

ゴールも決まっているわけではなく、脱いだTシャツや上着、靴などを置いてゴールにして試合をする光景もよく見かけます。

地面は、きれいなグラウンドの方がむしろ珍しく、公園の場合は決して環境が整っているわけではありません。

斜めになっていたり、でこぼこしていたり、平らではない場所でサッカーをしていることもあります。

人数も決まっていません。
途中で人が増えたり減ったりして、自然と人数が変わっていきます。

試合時間も、コートの大きさも、ゴールの大きさも、その時の partita(試合)によって毎回違います。

ルールもその場で決まることが多く、同じ公園でも試合ごとに少しずつ違います。

同じ場所で何十回、何百回と試合をしても、同じ条件になることはほとんどありません。

そういう自由な環境の中でボールを蹴っている光景を見ると、これこそストリートサッカーと言えるのではないかと思うことがあります。

サッカーは言葉を越えてつながる

よく「ボール一つで言葉を越えて遊べる」と言われますが、本当にその通りだと感じます。

言葉が通じなくても、サッカーをしていると自然と一緒に遊べてしまいます。

Eizも小さい頃からあまり人見知りをするタイプではなく、サッカーができそうな場面では、自分から入っていこうとするタイプの子でした。
ただ、場所や状況によっては、少し様子を見ながら入るタイミングを考えているようなところもあります。

とにかくサッカーがしたいという感じです。

最近はEizのサッカーが忙しく、旅行に行くこと自体が少なくなりましたが、小さい頃は旅行先でも同じようなことがよくありました。

特に印象に残っているのはスペインです。

さすがサッカー大国という感じで、公園では子どもたちがサッカーをしている姿をよく見かけました。

Eizはそれを見るとすぐに入っていくというよりも、少し様子を見ながらタイミングを考えて、どうやって入ろうかと考えているようでした。
私はその様子を見ながら、これも一つの経験なのだろうなと感じていました。

Eizは見た目がいわゆる100%イタリア人という感じではなく、日本人とイタリア人のハーフなので、どこの国の子どもなのか分かりづらいこともあるようです。

そのため、スペインなどでは「どこの国の子?」と聞かれることもあります。

「イタリア人だよ」と答えると、スペイン語とイタリア語は似ている部分も多いのでそのまま話し始める子もいますし、英語で話しかけてくる子もいます。

それでもサッカーが始まると、言葉はあまり関係なくなります。

イギリスでも同じでした。
ロンドンでもストリートサッカーのような形で一緒にボールを蹴ったことがあります。

私たちは北イタリアに住んでいますが、南の方へ旅行に行った時や海に行った時なども、公園でサッカーをする機会が何度もありました。

どこへ行っても、サッカーがあれば自然と子ども同士がつながっていきます。

サッカーがあることで広がるつながり

Eizはこれまで引っ越しなどを何度か経験しています。

そのたびに新しい環境になりますが、サッカーをやっていることで人とのつながりが生まれることも多かったように感じます。

一緒にプレーをする前からサッカーの話をきっかけに会話が生まれたり、同じサッカーをやっている子ども同士で自然とつながっていくこともありました。

クラブチームを変えたときも、すぐにチームの中に入っていくことができました。

そういう場面を見ていると、サッカーという共通のものがあることで人との距離が少し近くなるのかもしれないと感じることがあります。

もちろん、これはサッカーだけに限ったことではないのかもしれません。

人は何か同じものを好きだったり、同じことに情熱を持っていたりすると、自然とつながっていくことがあるのだと思います。

少しずつ変わっていく距離感

小さい頃は、知らない子どもたちの中に入ることにもそこまで抵抗はなかったように思います。

とはいえ、今でもすぐに入っていくというよりは、少し様子を見ながらタイミングを考えているように見えます。

サッカーができそうな雰囲気があると、どうやって入ろうかを考えている。
そんな感じです。

この先どう変わっていくのかは分かりません。

でも、サッカーを通して子どもが成長していく姿を見ていると、毎年少しずつ違う一面が見えてくるように感じます。

それもまた、この時間の面白さなのだと思います。

つづく

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