YESで答えてきた子育て|やりたいを止めないと決めてきた理由

子どものやりたいを尊重する子育てを表現した公園のイラスト

YESで答えるという子育ての姿勢

子どものやりたい気持ちに、できるだけYESで答える。

そんな関わり方の話を初めて聞いたのは、姉の一番上の子が生まれた頃でした。

姉はイギリスに住んでいて、※RIE(アメリカで提唱された子どもの主体性を尊重する育児観)の影響もあり、子どもを否定せず受け止める関わり方を意識していたのを覚えています。

当時の日本でも、できるだけ子どもにNOと言わずに関わる育児の考え方が少しずつ広まっていた時期でした。

私はまだ子どももおらず、育てる立場ではありませんでしたが、子どもが欲しい気持ちはあり、子育てに興味がなかったわけではありません。

それでも正直なところ、「そんな関わり方で子どもはちゃんと育つのかな」と感じていました。

昭和に生まれた私にとって、子どもは大人が正し、時には叱るものという感覚の中で育ってきたからです。

できるだけ否定せずに受け止めるという関わり方にはかなりの違和感があり、そんなふうに接していたら、むしろわがままな子になってしまうのではないかと感じていたのを覚えています。

それでもその考えは、どこか頭の隅に残っていたのだと思います。

自分が親になってから教育の本もいろいろ読み、新しい価値観に触れ、あの時に聞いた「できるだけYESで答える」という言葉が静かに浮かぶようになりました。

もちろん、すべてをYESにできるわけではありません。

危険なこと、健康に関わること、家族だけで完結しないことにはNOも必要です。

特にコカ・コーラや甘いものの摂りすぎなどは、なぜ良くないかを説明しながら量を調整してきました。

それも私の価値観の押し付けになるのかもしれませんが。

でも少なくとも、疲れているから、面倒だから、都合が悪いからという親の理由で子どものやりたい気持ちを止めることは、できるだけ避けたいと思いました。

だから私は、危険でない限りはできるだけやらせるという姿勢を、自分なりの方針として持つようになりました。

また、私自身は意識してこの関わり方を選び実行するという感覚がありましたが、父親は少し違っていました。
父親の方は、こうした関わり方を意識しているというよりも、もともとの感覚として自然にそうしている人だったように感じています。
子どものやりたいことを止めないことや、やらせてみることに対して迷いがないというか、ごく当たり前のこととして接していたように見えました。


危険でない限りやらせると決めてきた

公園で遊びたくて帰りたくないとき。
砂場で服がぐちゃぐちゃになるとき。
寒いのに噴水の中に入ってしまうとき。

周りから見れば「やらせるの?」と思われる場面もあったと思います。

実際に、他の子が真似したくなるからやめさせた方がいいと言われたこともありましたし。

かなり寒い日でも噴水の中に入って遊んでいる姿を見て、あんなことをさせてしまってと思われていたこともあったと思います。

イタリアでも夜遅くまで公園で遊んでいる子どもはあまりいませんし、そんな時間まで外で遊ばせていること自体、少し特殊に見えていたかもしれません。

それでも私は、危険でない限りは本人のやりたい気持ちを優先することを選んできました。

もしそれで風邪をひいても、それは私の責任だと思っていました。

もちろん、寒い日に水に入らせないという判断も正しいと思います。

子育てにはそれぞれの家庭の基準がありますし、どちらが正しいというものでもないと感じています。

人は人、自分は自分。
家庭は家庭。

そういう感覚は、子育ての中でも自然と大切にしてきました。

周りの家庭と比べることもあまりなく、他の家庭がどんな子育てをしていても、それはその家庭の価値観なのだと受け止めていました。
そして同時に、自分たちの選んでいる関わり方も、ただ自分たちの家庭の形なのだと思っていました。

服装についても同じでした。

寒いのに上着を着たくない、長いスウェットを履きたくないというときには、できるだけ本人の感覚を優先してきました。

体調のリスクも理解しつつ、それでもその感覚を尊重することを選んできました。

結果としてなのか、もともとの体質なのかは分かりませんが、息子・Eizは小さい頃からとても丈夫で、ほとんど病気をしない子に育ちました。

やりたい気持ちを優先すると決めたことで、生活が少し乱れることはありました。
公園から帰る時間が遅くなり、そのまま簡単な夕食になってしまう日もありました。

でも、気持ちを優先するという基準を持ったことで、私の中の葛藤はむしろ少なくなりました。

全部を完璧にしようとするよりも、優先順位をはっきりさせた方が楽だったのだと思います。


やらせる経験が子どもを育てる

小さな頃、キッチンで何か開かないものがあると、Eizはよく「僕が開けたい」と言ってきました。

まだ小さくて明らかに開けられないと分かっていても、「じゃあやってみて」と渡します。

やってみて、できなくてもいい。

やってみたかった気持ちが満たされることの方が大切だと感じていたからです。

少し大きくなって本当に開けられるようになったとき、「できた」という実感はきっと小さく積み重なっていくものだと思っています。

やりたいと手を伸ばしたときにやれる環境。

試した分、失敗も増えます。
でもそれは確実に経験になります。

「何でも挑戦していいんだ」という感覚につながっていくのではないかと感じています。

絵を描いたり、工作をするときも、こうした方がいいんじゃないと言うことはできるだけ避けてきました。

やろうとしていることに大人の基準を重ねないことも、同じ延長線にあります。

例えばビールを飲んでみたいと言ったときも、やってみる?と差し出してみたり。

小さな子どもはゴクゴク飲んだりはしません。
せいぜい舐めてみるか、少し口に入ってしまっても、まずいと吐き出すでしょう。

禁止しなくても、体験の中で学ぶことはたくさんあります。

やらせるということは、結果を求めることではなく、試していいと伝えることなのだと思っています。


なんでも挑戦していいと思える感覚

できるだけYESで答えてきた積み重ねの中で、Eizは私が「やりたい」という気持ちを基本的に受け止めようとしていることを知っています。

だからこそ、NOを伝えたときにはほとんど抵抗なく受け入れてくれます。

そこには理由があるのだと理解しているからです。

YESを重ねてきたことは、最初は大変な時もありました。
でも長い目で見ると、良い結果につながっていると感じています。

そしてもうひとつ感じているのは、挑戦に対する感覚です。

私は小さい頃、これはやっていいのか、ダメなのかを大人の顔色で判断していた記憶があります。

やってみたいと思っても、止められるかもしれないし、できないかもしれないという前提がどこかにありました。

でもEizには、「何でも挑戦していいんだ」という感覚が自然にあるように見えます。

なんでも許されるという意味ではなく、やってみること自体は否定されないという前提。

それはフットワークの軽さや、自分で決めて動く力にもつながっているように感じています。

危険なことや健康に関わることにはNGもあります。
でもそれ以外の多くの場面では、自分のやりたい気持ちをそのまま出していいと思えているようです。

やりたいを尊重する。

その積み重ねの中で育ってきたものが、今確実に見えるようになってきたと感じています✨

つづく。

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