子どものためと自分の安心のあいだ
親というものは、
子どもがいくつになっても、
愛おしくてたまらないもの。
その愛おしさは、
ただ可愛いという感覚だけではなく、
どこかでいつも気にかけている状態に
近いのかもしれません。
それは不安や不信とは違うものです。
信じていないから心配するのではなく、
大切な存在だからこそ、
心のどこかに常に置いてしまう感覚。
子どものことが、
いつも心のどこかにある。
そんな在り方そのものが、
親の愛情の形なのかもしれません。
子どもが成長していく姿を見ていると、
親はいつも、どこかで気にかけています。
順調に見えるときも、
楽しそうにしているときも、
問題が何もないように見えるときでさえ、
完全に安心しきることは、たぶんありません。
それは不安というよりも、
気にかけ続けている感覚に近いものなのだと思います。
子どもは親とは別の存在で、
別の人生を生きていく人です。
その歩みは親の手の中にはなく、
親が完全に把握できるものでもありません。
だからこそ、
見えている部分がどれだけ順調でも、
見えていない部分があることも
親はどこかで知っています。
その感覚が、
「安心しきれない」という状態として
そっと残るのかもしれません。
親は子どものためを思って関わります。
より良く育ってほしい、
合う環境にいてほしい、
苦しまずに進んでほしい。
それは自然な願いです。
でもその願いの中には、
どこかで親自身の安心も含まれています。
このままで大丈夫だろうか。
ちゃんと進めているだろうか。
間違った方向に行っていないだろうか。
子どもを思う気持ちと、
自分が安心したい気持ちは、
きれいに分かれているわけではありません。
多くの場合、
静かに重なり合っています。
だから親は、
子どものためにしているつもりのことの中に、
自分の安心を求める感覚を
含んでいることがあります。
それが悪いことというよりは、
とても人間らしいことなのだと思います。
だからこそその都度、
この不安が子どものためのものなのか、
それとも自分が安心したい気持ちから来ているのかを、
静かに見分けていく意識が
大切なのかもしれません。
親が安心しきれないことの意味
親が完全に安心しきれないのは、
子どもがまだ未熟だからでも、
危ういからでもないのかもしれません。
むしろ、
子どもが親とは別の人生を持つ存在だからこそ、
完全には見えない領域を持ち続けるからなのだと思います。
その見えない部分がある限り、
親はどこかで気にかけ続けます。
それは不安というより、
関心が途切れないということに近い。
もし親が完全に安心しきってしまったら、
子どもはもう気にかける必要のない存在に
なってしまうのかもしれません。
でも親にとって子どもは、
どれだけ成長しても
注意や関心が自然に向いてしまう存在です。
だから安心しきれないことは、
未解決な問題ではなく、
関係が続いている証でもあるのだと思います。
親はきっとこれからも、
どこかで子どもを気にかけ続けます。
それは消えることのない、
愛おしさの感覚でもあるのでしょう。
でもその気にかける思いを、
必要以上に子どもに背負わせることはあってはいけないと。
親の中には、
静かに信じている気持ちがあり続ける。
そして子どもは、
言葉にされなくても、
どこかでそれを感じ取っていく。
親はいつも自分を信じてくれている。
そう感じられることが、
子どもにとっての安心や土台に
なっていくのではないでしょうか。
親が心の中で気にかけ続けながら、
外側では信頼を手渡していく。
そんな関わり方もまた、
ひとつの見守りなのだと思います。
つづく

