親が口を出したくなるとき

親は子どもに関心がある存在

親であれば、子どもに何か言いたくなる瞬間は誰にでもあると思います。
それは関心があるからであり、愛情があるからであり、期待や不安があるからです。

子どもに関心のない親はいないのではないでしょうか。
関わり方や表現の仕方はそれぞれ違っても、子どもがよりよく育ってほしいという思いは、どの親にもあるものだと思います。

愛情、期待、不安、願い。
そうしたいくつもの感情が重なり合った結果として、親はつい口を出したくなる。
口出しという行為は、そうした関与したい気持ちの現れでもあるのだと思います。

けれど、子どもの成長を考えたときに本当に難しいのは、口を出すことではなく、口を出したい気持ちを抱えたまま距離を保つことなのだと感じています。

口を出すことは、ある意味では簡単です。
気になったことをそのまま言葉にすればいいからです。

けれど本当に難しいのは、言いたい気持ちを抱えたまま見守ること。
関心を持ちながら介入しすぎない距離を保つことなのだと思います。

放置するのでもなく、無関心になるのでもなく、見守る。
その距離を保つことは、必要でありながら、とても難しいことです。

子どもにはそれぞれのテンポや性質があり、何も言わずに見守ることで必ず主体性が育つとは限らないという現実もあります。
だからこそ、言わないことは親にとって不安にもつながります。

見守ることは、ただ黙っていることとは違う。
関心を持ち続けながら、介入しすぎない距離を探ることなのだと思います。

言葉は「正しさ」ではなく「受け取り」で決まる

子どもへの言葉は、その内容が正しいかどうかだけで決まるものではありません。

どれほど理にかなったことでも、子どもが「うるさい」と感じている状態であれば、その言葉は意味を持たず、ただの干渉として受け取られてしまうことがあります。
逆に同じ内容でも、納得して聞ける状態であれば、助言として届くこともあります。

つまり、言葉の意味は内容そのものではなく、受け取り方によって変わります。

特に子どもはとても敏感で、言葉の表面よりも、その奥にある感情や意図を感じ取る存在だと感じています。

たとえ穏やかに話していても、そこに焦りや苛立ちがあれば、それを察します。
逆に、子どものことを思って考えながら言葉を選んでいることも、きちんと伝わります。

だからこそ、子どもへの言葉において大切なのは、何を言うか以上に、どのように言うか、そしてどんな状態で言うかということなのだと思います。

親はその子に合う言葉を知っている

子どもへの言い方に正解が一つあるわけではありません。
同じ言葉でも、子どもによって受け取り方は変わります。

けれど親は、誰よりもその子の性質や反応、これまでの関係の中での経験を見てきた存在です。
だからこそ、その子がどのような言葉を受け取りやすいかを、本来いちばん知っているのだと思います。

日々成長を見ているからこそ、今のこの子にどの言い方が合うかも、ある程度わかっている。
親はそれぞれ、自分の子どもに合った言葉を選べる力を持っているのだと思います。

ただ実際には、疲れているときや余裕がないとき、感情が先に立つときもあります。
人間ですから、いつも最適な言い方ができるわけではありません。

それでも、言う前に少しだけ考える。
その意識があるかないかで、関係は大きく変わってくるのではないでしょうか。

親が子どもに言いたいことは無数にあります。
日々の中で気になることは次々に出てきます。

けれど、それをすべて言葉にして伝えることに意味はないのだと思います。
たとえすべてを伝えたとしても、それがそのまま子どもの中に入るわけではないからです。

大切なのは量ではなく、伝わり方。
自分の思っていることをどう伝えるかに目を向けることが、子どもとの関係を変えていくのだと感じています。

たとえば「勉強しなさい」と言う代わりに、

  • 今日はどんなことやったの?
  • どんな授業が楽しかった?
  • どんな授業がつまらなかった?
  • どこでいちばん考えた?

といった形で関わることもできます。

内容を確認する問いかけや、興味や理解の感覚をたずねる言葉は、命令とは違う形で子どもに届きます。
こうした関わり方も一つの方法だと思います。

主体性はプレーにも現れる

子どもが自分で考え、決めて行動する経験を日常の中で積み重ねていると、サッカーの場面でもその姿勢が現れてくるように感じています。

コーチに言われたことだけをこなすのではなく、
「今どうすればいいか」を自分で考え、選び、動こうとする。
誰かに指示されなくても、状況の中で判断しようとする。

そうした姿勢は、自分で決めて動く経験の延長線上にあるもののように見えます。

逆に、常に指示を受けて行動することに慣れていると、判断を外に求める傾向も生まれやすいように感じます。

日常の中で主体的に関わる経験を持っている子ほど、サッカーの場面でも指示に頼らず考えて動こうとする姿が見られるように感じています。

だからこそ、親が指示して動かすのではなく、子どもが自分で考える余地を残す関わり方には意味があるのだと思います。

口を出したくなる気持ちは、親であれば自然に生まれるものです。
関心があるからこそ生まれる感情でもあります。

その気持ちを抱えながら、言い方を考えたり、少し立ち止まったりすることは簡単ではありません。
けれど、その関わり方の積み重ねが、子どもの主体性や自分で考える姿勢につながっていくのかもしれません。

だからこそ、何を言うかよりも、どう関わるかを大切にしていきたいと思っています。

つづく

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