つまずいても また前を向いて歩き出す力
子どもに育ってほしい力は、 「失敗しないこと」ではなく、 つまずいても、また前を向いて歩き出せる力なのかもしれません。
前回は「当たり前を疑うこと」について書きました。
今回はもうひとつ、私が息子・Eizに養ってほしいことについて。
生きていれば、誰でも立ち止まってしまうことがあります。
それは、何かにつまずいたとき、また前を向いて歩き出せる力。
勉強でも、サッカーでも、友だちとの関係でも。
生きていれば、うまくいかないことは必ずあります。
思うようにできなくて立ち止まったり、
悔しくて前を向けなくなったり。
それは決して特別なことではなく、
生きている限り誰にでも起こること。
だから私は、転ばないように守るよりも、
転んだあとに「もう一度立ち上がれる力」を育てたいと思っています。
🏵️その土台になるのが、自己肯定感だと感じています。
自己肯定感って、 何かができることだけで生まれるものではなく、 できない自分でも、 失敗してしまう自分でも、 「それでも大丈夫」 と思える感覚。
そして、 その安心感があるからこそ、 人はまた 「やってみよう」 と思える。
泣いても、怒っても、わがままを言っても、
「それでもあなたが大好きだよ」
と抱きしめてもらえること。
ただ、それをふまえて子育てを始めたものの、正直に言うと、
私はその“わがまま全開の時期”のEizをあまり経験していません😅
小さい頃からとても活発でしたが、泣きわめいたり、ダダをこねたりしない子で、
拍子抜けするくらい穏やかでした。
でも大丈夫。
「理由なんてなくても、あなたを大好き」
という気持ちは、いつでも、いくらでも伝えられます。
🏵️無条件に愛されているという感覚は、
「自分は大丈夫」
「何かに挑戦してもいいんだ」
という心の土台になります。
そして、できるだけ本人がやりたいことは何でも
「やらせる」
ことを大切にしてきました。
もちろん、命に関わることや危険なことは別ですが、
それ以外なら、基本はやってみたい気持ちを尊重する。
例えば、小さな子が牛乳を自分で注ぎたいと言ったとき。
こぼす可能性は大いにあるし、後片付けも大変です。
でも、それでも
「やってみよう」。
床が少し汚れるくらいで、
「やってみたい」
「できた」
という経験が手に入るなら、断然価値があります。
このとき大切なのは、「できた」の意味。
それは
“うまくできた”ということではなく、
“やってみようと挑戦できた”という「できた」です。
できなくてもちろん大丈夫。
やったことを褒めてあげればいい。
これは上手くいったときも同じで、
できたことではなく、
やったことを褒めてあげるのがベスト。
赤ちゃんが手づかみで
ごはんをぐちゃぐちゃにしながら食べるのも同じ。
あれは、立派な学びの時間。
汚れるからと奪ってしまうのは、もったいないなと思うのです。
🏵️そして次に大切なのは、
「私はあなたを信じているよ」
というメッセージを伝えること。
たとえまだうまくできなくても、
こっそり手を貸してあげながらでもいい。
親としては
「まだできないな」
「難しいな」
と思っていても、
🏵️近くにいる人が自分の能力を信じてくれていると感じることが大切。
🏵️それが挑戦につながり、
「できた」
という感覚を心に残していく。
失敗しても
「今回はうまくいかなかったか。次はどうしたらいいかな?」
という新たな挑戦が生まれる。
「あなたはまだ小さいからできないよ」
というメッセージはNG。
挑戦を制限してしまうことになります。
失敗することで、経験になり、
経験することで、自信が少しずつ積み重なっていく。
それが、いつか大きな壁にぶつかったとき、
もう一度前を向く力になると信じています。
できるか、できないかじゃない。
大切なのは、「やってみよう」
と思える心。
それは勉強でも、サッカーでも、人生でも同じ。
頭で分かっていても、
そんなに上手くいかないのが子育て。
親もやはり、
子どもと一緒に成長していくものですよね。
Eizがこれからどんな道を歩くとしても、
転びながら、立ち上がりながら、
自分の足で進んでいけるように。
そんな力を、
そっと育てていけたらいいなと思っています💛。
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