どんな風に育ってほしいか|当たり前を疑うこと

「当たり前」を疑うこと 〜息子Eizと一緒に学んでいること〜

育成思考 : mamma-eiz

サッカーのシステムや教育ひとつとっても、日本とイタリアでは本当にたくさんの違いがあります。
それは日本とイタリアに限らず、世界の国々それぞれの文化が違うので、ごく自然なことだと思います。
でもそれは文化の違いだけではなく、親の価値観にも大きく左右されるとも感じています。

イタリアでも、日本以上にしつけにこだわる人もいれば、まったく気にしない人もいます。
こだわりを美徳とする人もいれば、こだわらないことを美徳とする人、意識すらしていない人もいる。
どれが正しいというより、本当に人それぞれ。

だから私は、Eizが大きくなったときに
「自分とは違う考え方の人がいる」
ということを、自然に受け止められる人になってほしいです。
そのことを知っているだけで、ずいぶん生きやすくなると思うんです。

世の中には
「普通じゃない」
と言われる考え方を持つ人がいて、それを見たときにイライラしたり、否定したりするのではなく、
「考え方は人それぞれなんだ」
と思ってもらいたい。
そして、その少数派の中にこそ、時にとても大切な思考が隠れていることもあると思うのです。

例えば、すごくささいな話ですが
私は小さい頃、スパゲッティはくるくる巻いて、音を立てずに食べるものだと教えられて育ちました。
それが “普通” だと思っていたので、大人になって音を立てて食べる人を見ると、正直少し嫌な気持ちになることもありました。
今思えば、それは本当にどうでもいいことですよね。
大切なのは、それを見たときに「人それぞれ」と思える力。

実際、イタリアでは給食にスパゲッティが出ることはほとんどありません。
ペンネやフジッリが主流で、家でもスパゲッティをあまり食べない家庭もあります。
だから
「スパゲッティはくるくる巻いて食べる」
ということ自体を知らない子も結構います。
むしろ今は、日本の子どもたちの方が給食でスパゲッティが出て、
「こうやって食べるんだよ」
と教えられているかもしれません。

こういう「違い」があることを知るのは大切。
でもそれを “正解” にしてしまうと、いらない執着が生まれてしまう。
だから私は、
「いろんな考え方があるんだよ」
ということを、根っこの部分で知っていてほしいと思っています。

礼儀やしつけを教えるときも同じで、
「こういう文化がある」
ということを知りつつも、それをしていない人を見て不快にならない心を育ててあげたい。
それは同時に、自分が「人と違う」と見られたときに、気にしすぎない強さにもつながると思うのです。

だから私は、いつも自分の考えが “当たり前” になっていないかを疑うようにしています。
本当にそれが正解なのか?
と、自分に問い直すようにしています。
自然に見せることはあっても、「教える」ということは、あえて避けています。

世の中の “当たり前” なんて、案外あっさりひっくり返るものだから。
自分が自信満々で教えたことが、実はマイナスに作用していた、なんてことも起こり得ると思うんです。

少し前に、モロッコ人のお母さんが
「子どもには小さい頃から、暇があればたくさん動画を見せた方が頭がよくなる」
と話していたことを思い出しました。

日本では、子どもに小さい頃から必要以上に動画を見せるのはよくない、できるだけ積み木やかくれんぼなど、いろいろな遊びをした方がいいと言われていますよね。
確かに、何事も極端なのはよくないと思います。
でも、極端なほどの情熱から天才が生まれることがあるのも事実。
天才は、その分野への情熱のかたまり🔥

こうした当たり前の違いは、文化だけでなく子育てや学び方にも現れるんだと思います。

最近のことですが、Eizは勉強をしながら、YouTubeを見て、ビデオゲームの確認をしています……😅
正直に言うと、イラッとします😅
「いやいや、それ普通に考えて集中できてないでしょ」と。
でも心のどこかで、
「でも意外とすごいことなのかも?」
なんて思うようにもしています。
実際、ちゃんと勉強はできているんです。
それを見るたびに、私の “常識” が少しずつ揺さぶられます。
もしかしたら、このやり方が彼にとって合っているのかもしれない。
もしかしたら、この同時進行が彼の感覚なのかもしれない。
だから今は、ぐっとこらえて見守っています。

サッカーも、勉強も、人生も、正解はひとつじゃない。
イタリアでサッカーに打ち込む11歳のEizを見ながら、私自身も「当たり前」を疑う練習をさせてもらっています。

つづく

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