「宿題をやらないと先生に怒られるよ」
「バスの中で騒いだら運転手さんに怒られるよ」
「そんなところでボール遊びをしていたら怒られるよ」
子育てをしていると、こんな言い方をしたことがある方も多いのではないでしょうか。
私自身、何度もこうした言い方をしてきました。
そのときは、それが一番わかりやすく伝わると思っていたし、特に深く考えたこともありませんでした。
でも今振り返ると、本当に大切なのは「怒られるからやる」「怒られるからやめる」ことではなく、
宿題は自分のためにやるもの。
周りの人が困るから気をつけるもの。
危ないからやめるもの。
そういうふうに、自分で理由を理解して行動できることなのだと思います。
そして、その土台になるのが、小さい頃からの習慣です。
親がどこまで手を出すのか。
どんな言葉で伝えるのか。
どこまで子どもに任せるのか。
その積み重ねが、後になって大きな違いになることを、私は日本語補習校とイタリアの学校での経験を通して強く感じました。
今回は、子どもが自分で考えて動くようになる習慣について、実体験をもとに書いてみたいと思います。
この記事はこんな方におすすめです
- 子どもが言わないと動かなくて悩んでいる方
- 子どもに宿題を自分で管理できるようになってほしい方
- 「怒られるからやる」ではなく主体性を育てたい方
- 親がどこまで手を出すべきか迷っている方
日本語補習校で感じた「手伝いすぎ」の落とし穴
息子・Eizは幼稚園の頃から日本語補習校に通っていました。
そして、小学校1年生になると、国語の宿題も本格的に増え始めました。
日本語は家の中でずっと使っていたので、会話に関しては特に問題はありませんでした。
ただ、読み書きとなると、やはり少し違います。
海外で生活していると、日本語を話すことはできても、読むことや書くことは意識して触れていかないと、なかなか自然には身につきにくい部分があります。
だから私の中にも、強く意気込んでいたわけではないけれど、どこか少し身構えていた部分があったのだと思います。
「ちゃんとやらせなきゃ」
「宿題は終わらせなきゃ」
「せっかく通っているのだから、続けなきゃ」
そんな気持ちが、無意識のうちにあったのかもしれません。
その結果、日本語補習校の宿題は、私が横について手伝いながら終わらせることが多くなっていました。
もちろん、そのときはそれが必要だと思っていました。
まだ小さいし、一人では難しい部分もある。
だから今は手伝ってあげればいい。
そんな感覚でした。
でも今振り返ると、あのとき本当に大切だったのは、宿題をきれいに終わらせることよりも、「まず自分で取り組む」という流れを作ることだったのかもしれません。
親が手伝って終わらせることが当たり前になると、Eizの中でも「宿題は一緒にやるもの」という感覚ができやすくなります。
そして一度その形ができると、子どもも大人も、そこから抜け出すのは簡単ではありません。
習慣というのは、それくらい強いものだと思います。
もちろん、日本語補習校の宿題を続けたこと自体には意味がありました。
日本語に触れる時間を作れたこと。
読むことや書くことに向き合う機会があったこと。
続けようとしたこと。
それはそれで、大切な経験だったと思っています。
ただ、もし今の私が当時に戻れるなら、もう少し違うスタンスを取っていたかもしれません。
「絶対に宿題を終わらせる」ことよりも、
「まず自分でやってみる」こと。
「できなくても、取り組んでいることに意味がある」と見ること。
「どうすれば自然に続けられるか」を一緒に考えること。
そちらに、もっと意識を向けていた気がします。
親が焦っているつもりはなくても、少しの身構えや「ちゃんとさせたい」という気持ちは、子どもに伝わるものです。
そしてその空気が、勉強を「楽しいもの」ではなく、「やらなければいけないもの」に変えてしまうこともあるのかもしれません。
日本語補習校での経験は、私にとって、「手伝うこと」と「子どもが自分で動く力を育てること」は同じではないのだと気づかせてくれた出来事でした。
子どもが自分で宿題をするようになった「まず自分でやってみる」という習慣
一方で、イタリアの学校では、最初から少し違うスタンスで関わっていました。
「まず自分でやってみて、わからないことがあったら聞いてね」
それが、Eizに対する基本的な姿勢でした。
ただ、このやり方は、当時の私が「主体性を育てよう」と意識して選んだものではありませんでした。
仕事もしていましたし、どちらかというと、
「とりあえずやってみて、できなかったら聞いてね」
という、とても自然で軽い感覚だったと思います。
そしてもうひとつ大きかったのは、Eiz自身が小さい頃からいろいろなことに興味津々だったことです。
学校から帰ってくると、その日に学んだことを目を輝かせながらたくさん話してくれました。
その様子を見ていると、「きっと学校が楽しいんだな」ということが自然と伝わってきました。
だからEizの中では、「勉強しなければいけない」という感覚よりも、
「自分が知りたいことを知る」
「新しいことを学ぶ」
「わからなかったことがわかる」
という感覚で、学校生活をスタートできたのだと思います。
もちろん、子どもによって興味を持つことや、そのタイミングは本当にさまざまだと思います。
同じ年齢でも、何に関心を持つか、どんなペースで伸びていくかには大きな個人差があります。
特に小さい頃は、その違いがとても大きいように感じます。
以前読んだ黒川伊保子さんの『子育てのトリセツ』には、とても印象に残っている考え方があります。
子どもが勉強やスポーツで結果を出していない時期にも、その状態でいること自体に意味があるという考え方です。
「今できていないこと」だけを見るのではなく、その時期にその子の中で起きていることを見る。
この視点は、親の焦る気持ちを少し落ち着かせてくれるように感じています。
「今できていないこと」にも意味がある、という視点。
▶ 子育てのトリセツの記事を読む
もちろん、最初からすべてを一人で完璧にできたわけではありません。
小学校の頃は、わからないことがあると聞かれることもありましたが、今では学校で学ぶ内容について私が教えられることはほとんどなく、Eizが自分で進めています😅
でも、宿題の基本はずっと「まず自分でやってみる」というスタイルでした。
今振り返ると、日本語補習校のように少し身構えてしまうこともなく、イタリアの学校では比較的自然に任せることができました。
イタリアでは、中学生になっても、親が子どもの宿題やテストの予定を把握しながら進めていくことが前提になっています。
先生と親の間にも、「家庭で親がある程度子どもの学習を見ていく」という暗黙の了解があるように思います。
実際、学校で使われているアプリは、子ども自身が管理するためのものではなく、親が確認し管理するためのものです。
先生からのお知らせや宿題、テストの予定なども、子ども向けというより保護者向けに書かれており、親が内容を把握しながら子どもと一緒に進めていくことが前提になっています。
特に小学校の頃は、私がEizの宿題やテストの予定を把握していないと話すと、驚かれたり、少し引かれるような反応をされることもありました。
それくらい、「親が子どもの学習を見ている」ということが当たり前の感覚としてあるのだと思います。
日本では、中学生になる頃には、自分で宿題やテストの管理をしている子も多いように感じます。
もちろん家庭によって関わり方はさまざまだと思います。
だからこそ、わが家のように、親がほとんどノータッチで本人に任せているスタイルは、イタリアの中では少し特殊なのかもしれません。
それでも、小学校1年生の頃から「まず自分でやってみる」という形で始めたことで、Eizの中では、宿題やテストは自分で把握して進めるものという感覚が自然にできていきました。
もし最初から日本語補習校と同じように、私が横について一緒に進める形にしていたら、今とは違うスタイルになっていたかもしれません。
そう考えると、最初にどんな形でスタートするかは、その後の習慣に大きく影響するのだと感じています。
もちろん、最初からすべてを一人で完璧にできたわけではありません。
小学校の頃は、わからないことがあると聞かれることもありましたが、今では学校で学ぶ内容について私が教えられることはほとんどなく、Eizが自分で進めています😅
でも、宿題の基本はずっと「まず自分でやってみる」というスタイルでした。
今振り返ると、日本語補習校のように少し身構えてしまうこともなく、イタリアの学校では比較的自然に任せることができました。
イタリアでは、中学生になっても、親が子どもの宿題やテストの予定を把握しながら進めていくことが前提になっています。
先生と親の間にも、「家庭で親がある程度子どもの学習を見ていく」という暗黙の了解があるように思います。
実際、学校で使われているアプリは、子ども自身が管理するためのものではなく、親が確認し管理するためのものです。
先生からのお知らせや宿題、テストの予定なども、子ども向けというより保護者向けに書かれており、親が内容を把握しながら子どもと一緒に進めていくことが前提になっています。
特に小学校の頃は、私がEizの宿題やテストの予定を把握していないと話すと、驚かれたり、少し引かれるような反応をされることもありました。
それくらい、「親が子どもの学習を見ている」ということが当たり前の感覚としてあるのだと思います。
日本では、中学生になる頃には、自分で宿題やテストの管理をしている子も多いように感じます。
もちろん家庭によって関わり方はさまざまだと思います。
だからこそ、わが家のように、親がほとんどノータッチで本人に任せているスタイルは、イタリアの中では少し特殊なのかもしれません。
それでも、小学校1年生の頃から「まず自分でやってみる」という形で始めたことで、Eizの中では、宿題やテストは自分で把握して進めるものという感覚が自然にできていきました。
もし最初から日本語補習校と同じように、私が横について一緒に進める形にしていたら、今とは違うスタイルになっていたかもしれません。
そう考えると、最初にどんな形でスタートするかは、その後の習慣に大きく影響するのだと感じています。
子どもが「怒られるからやる」ではなく、自分の気持ちで動けるようになる
子どものことを思うと、「最低限これくらいはできるようになってほしい」「将来困らないようになってほしい」と感じるのは、ごく自然なことだと思います。
勉強でも、スポーツでも、生活面でも、親であれば「ある程度は人並みにできるようになってほしい」と願うものです。
それは、子どものことを大切に思っているからこその気持ちです。
ただ、その思いが強くなりすぎると、いつの間にか焦りとして表れてしまうことがあります。
「ちゃんとできるようになってほしい」
「このままで大丈夫だろうか」
「少しくらいはできるようになってほしい」
そうした気持ちが前に出すぎると、親の中では良かれと思っていても、子どもには「できない前提で見られている」と伝わってしまうことがあります。
反対に、「あなたならできる」という前提で関わっていると、その気持ちは自然と子どもにも伝わっていきます。
親自身が内心では不安を感じていても、できる前提で関わることが、大きな分かれ道になるのだと思います。
そして、子どもが本当に自分から動けるようになるためには、
楽しいからやる。
好きだからやる。
自分のためにやる。
そんな気持ちで行動できることが、とても大切なのだと思います。
実際に、言葉ひとつで、子どもの勉強に対するイメージが大きく変わってしまうことがあります。
Eizは、小学校の頃まで、学校で学ぶことそのものを楽しんでいました。
新しいことを知ることが好きで、勉強を「やらなければいけないもの」と感じている様子はほとんどありませんでした。
ところが、小学校の終わり頃、中学校に進学すると宿題や勉強がとても大変になると、先生から何度も聞かされていました。
もちろん、先生は子どもたちに心の準備をさせようとしていたのだと思います。
でもEizにとっては、その言葉が強く印象に残ったようで、夏休みの間、「中学校は大変なところ」「勉強は忙しくて大変なもの」というイメージを抱いて、不安そうにしていました。
その様子を見て、私は内心、「そんなふうに勉強を怖いものとして伝えてほしくなかった」と感じました。
子どもによっては、その言葉を聞いて「頑張ろう」と思うこともあるかもしれません。
でも、もともと勉強を楽しいものとして捉えていた子にとっては、そのイメージが変わってしまうこともあります。
だからこそ、勉強を「大変なもの」「やらされるもの」として伝えるのではなく、自分のためのものとして捉えられることが大切なのだと思います。
宿題も、先生や親に怒られないためにやるものではなく、自分のためにやるものです。
そうした感覚が少しずつ育っていくと、親が毎回言わなくても、自分で考えて動けるようになるのではないでしょうか。
子どもの主体性は日々の積み重ねで育つ
ここまで書いてきたように、子どもが自分で考えて動けるようになるために、特別な方法があるわけではないのだと思います。
「まず自分でやってみる」
「あなたならできる」と信じる。
怒られるからではなく、自分なりに理由を理解して動けるようになること。
そうした日々の小さな積み重ねが、気づかないうちに子どもの中に根づいていくのだと思います。
子どもも大人も、ある日突然何かができるようになるわけではありません。
でも、毎日の積み重ねは、あとになって少しずつ大きな違いになっていきます。
小さい頃から「まず自分でやってみる」が自然になっていくと、親が毎回言わなくても、自分で考えて動ける場面が少しずつ増えていくのかもしれません。
もちろん、最初からうまくいくわけではありません。
親自身も試行錯誤しながら、うまくいかないことや失敗することもあります。
それでも、まずやってみることそのものに意味があるということを、親自身の姿を通して子どもに伝えていけるのだと思います。
子どもの「やってみたい」という気持ちは、大人が思っている以上に、その後の行動につながっていく。
▶ 子どものやりたいを止めない関わり方を読む失敗しないことより、「自分で経験すること」の大切さ。
▶ 子どもの失敗が成長につながる理由を読むそうした積み重ねの中で、子どもは少しずつ自分で考えて行動できるようになっていきます。
それは、子どもの主体性を育てるだけでなく、親にとっての大きな助けにもなります。
毎回声をかけたり、横について確認したりする負担が少しずつ減っていくからです。
そして何より、「この子は自分で考えて動ける」という感覚は、親にとって大きな安心感につながっていくのではないでしょうか。
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